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    ~ 引き受け人間学 創始者 藤谷康允、その人間像 ~

藤谷泰允(ふじたに やすみつ)

藤谷 ふじたに泰允やすみつ

昭和26年(1951)6月11日、長崎県生まれ。

30歳のとき農業団体を退職し、農事会社を設立。6年後、事業に失敗し倒産する。その後、天からのメッセージを受け昭和63年3月21日に「フジタニヘルス」を開業し、本格的に引き受け氣功の研究を始める。

その後、「ワンダーライフ研究会」に名義変更して、平成17年から全国各地で「一家に1人氣功師」運動を展開する。

平成22年9月、本部を佐賀県武雄市に移転し、一般社団法人「ワンダーライフ」を設立。

少年から青年期の人生

藤谷泰允
この時期は健康不安症で15歳の頃より新聞は他人の死亡欄ばかり見ていました。
胃癌などを必要以上に恐れ、結果的に22~23才の時は体重40kgそこそこで(身長170cmでした)病院通いの連続。死の恐怖から脱出したくて宗教家に救いを求めました。「あなたの前世の悪因縁を断ち切ってあげるから毎月2万円を出せますか」と教祖から言われました。
私の月給はその頃3万~4万程度。私は恐ろしくなり東京から帰って来ました。名前を三回も変え、高額な印鑑も買いましたが、苦悩は一向に減りませんでした。
18歳で地元の農業団体に就職しました。「一人は万人のためにに、万人は一人のために」のライファイゼンの言葉に生命を燃やし、世界の食糧問題を解決しようかと誓ったのですが、私の想う様には事態が進行しませんでした。
19歳のとき、地元の青年団活動で「演劇部」を造り「マキは切られた」のタイトルで、このまま地球の森林を破壊すると人類破滅に繋がるメッセージ劇を創作し、毎夜練習して長崎県代表で全国大会に挑みました。
また、「社会部」を創立しドラム缶を半分に切った物をバス停に置き、毎週日曜日にゴミの回収を実施しました。
その頃、「タライの法則」と出会い、それが私の人生を180度変えることになります。

30歳から36歳の6年間の人生

藤谷泰允
30歳で地元の農業団体の職員を退職して自然農法と水環境事業の会社を3名で共同出資会社を始めました。しかし経営は失敗して倒産しました。
その後、結婚式の司会を依頼され日曜・祭日には長崎、地元(西彼)や佐世保に出張して日銭を稼ぎました。それと同時に整体施療の出張もして氣功術を磨き、ながらく悶々とした日々を過ごしておりました。
そのうち収入が足りず新築した家の住宅ローンは半年以上に渡り支払えず、とうとう住宅金融ローン会社から家の差し押さえ通告が来ました。
私は自分の人生の不甲斐なさを責め、生きる希望を失って地元の山に登り、死亡保険金で自宅の差し押さえだけは止めようとし自殺の準備を始めました。
そうすると目の前の山が私に向かって飛び込んで来たのです。その後に「逃げるな、試練だ、引き受けなさい。必ず道は開けるよ」と耳元ではっきり聞こえたのです。
そこで私は正気に戻り、「よーし!!環境問題は後年にやろう。今は氣功師になって人間の健康から始めよう」と誓い、36歳にて再出発したのです。
昭和63年3月21日を開業記念日にしたのですが、そのときも天からメッセージが聞こえたのです。「この引き受けの氣功は日本を飛び越えて世界に出ますよ」と!!
私は天との約束をしました、「わかりました、必ず世界に出します」と!!

36歳から60歳までの氣功師人生

藤谷泰允
引き受け「氣」の研究生活29年間にわたり受講生の皆様方には2000種類の技と共に呼吸法と考え方(思い方)の訓練を実践してまいりました。
その間、元ジャーナリストの故「池田弘志氏」が『週刊ポスト』や『頼れる氣功師96人』『ガンもカゼと同じく治る』『驚異の引き受け氣功』等の著書で紹介されました。
その他、『人生が変われる引き受け氣功(木楽舎)』や『ワーズワース』『ムー』『ゆほびか』そして平成17年6月号『致知』等に紹介され、あっという間に全国55会場で「引き受けセミナー」が拡がりました。 そして平成23年6月11日(土)、東京(新宿)セミナーより、左手(左半身)で人類世界地球の不調和な闇(光の影)を引き受け、右手(右半身)より人類、世界、地球に光を出し続ける引き受け人間学が大方完成したのです。
不思議なことに、この日は丁度私の60歳(還暦)の日でした。何か天よりプレゼントをいただいた様な気分になりました。
やっと、24年前の天との約束「この引き受けの「氣功」は日本を飛び越えて世界に出ますよ」との記念すべき日となったのです。
今年も北海道から沖縄まで知念さんと向久保さんと共に全国行脚修行致しております。 YouTubeとインターネット(ホームページ)新書籍も日本版と英語版の両方で全世界に発信してまいります。